ある時、誰にも観測できない領域が現れた。
大きさは大都市一個分。
そこには闇だけが広がっていて、中に入ったものは戻ってこない。
しかし何よりも異常なのは、そこに今まで何があったのか、全く分からないということだ。
記憶にも記録にも残っていない。
一切の痕跡を、その闇は消し去った。
それから一分後、その領域は数を増やした。また一分後、その領域は数を増やした。
そんな中、私はどこかで杖を掲げていた。
ーーー私がこの世界を救うんだ!
と、謳いながら。
◆
そんな夢を見た。
「私が、あんなことを︙!」
夢の中での興奮は凄まじいものだった。私一人に世界の命運がかかっているという、緊張感と高揚感。言葉にならないような感情を、私は持て余しているようだった。
ベッドの上で深呼吸していると、頭の中に知らない情報が詰められてきた。夢の中の私が使っていたのは「魔法」というものであること。魔法の使い方を教えてくれる人は、なんと近所の森に住んでいること。魔法は使用者の命を削ってしようすること。他にも色々あったが、要約するとこんな感じだ。
うっすらと笑みを浮かべたまま、まずは朝のルーティーンを消化していく。今日は日曜日なので両親は昼までぐっすりだ。つまり思う存分ニヤニヤできるし、言い訳せずとも家を出れる。
支度を整えた私は、近所の森へと向かった。服を何にしようかと悩んだが、結局高校の制服だ。半袖のワイシャツに紺色のネクタイとスカート、という地味な服装だが、無地のTシャツにジーパンの組み合わせよりは映えるだろう。
しばらく森の中を歩いていると、開けた場所を見つけた。円形で、半径は五十メートルくらいだろうか。木を切った跡などは無く、草原を切り抜いて持ってきたように見える。そんな場所の中心に、一人の女性がいた。金色のロングヘアと黒いローブをたなびかせて、どこか遠くを見つめている。私が草原の中に入ると、彼女は少し驚いたように振り返り、そして柔らかな笑みを浮かべる。
「良かった、来てくれた。誰も来てくれないんじゃないかって、ヒヤヒヤしちゃったよ」
確かに、私の他には誰も来ていないようだった。蝉の鳴き声だけが、うるさく響いている。辺りを見回しながら草原の中心に着いたところで、女性が口を開いた。
「まずは自己紹介かな。ボクの名前はマジョ。普段はもう少し奥の方の小屋で暮らしてるよ」
「居野守香です。よろしくお願いします、マジョさん」
「イルノモリカね。よし、覚えた。よろしく、モリカ」
マジョさんと握手を交わす。わ、肌すべすべ︙。近くで見たら髪が輝いてるし。体格は私より少し小柄なくらいで大して変わらないはずなのだが、何と言うか神々しい。
「では早速、準備を始めようか」
「あ、はい!」
神秘的な姿に見とれていると、マジョさんはどこからともなく杖を取り出し、投げてきた。材質は暗い色の木のようなもので、不規則にねじれた形をしている。長さは私の身長より頭一つ分長く、ずっしりとした重さを感じる。
「さて、手順と詠唱は夢と一緒に脳に突っ込んでおいたから大丈夫だよね?」
「はい。ばっちりです」
「そしたら、残る準備は杖との同期だけだね」
マジョさんはそう言った後、私の方を見て黙り込んだ。
「︙︙︙︙」
「えっと、どうしました?」
「いや、随分と楽しそうだなと思ってね」
「まあ実際楽しみですからね」
「ふーん、そういうものか」
私に世界が託されている。その事実に興奮せずにいられるはずがない。私はそう思うのだが、マジョさんは不思議そうに私を見ている。
「︙詮索はしないけれど、一応聞いておこう」
さっきまでの明るい口調から、真剣な声に変化した。
「イルノモリカ。キミはその命を削って、魔法を使用する。その覚悟はあるかい?」
私はマジョさんの碧眼をまっすぐに見据えて笑った。
「もちろん。むしろ、そうでなきゃ困りますよ」
「それもそうか」
野暮なことを聞いてすまない、と言いながら、マジョさんは私に向けて両手をかざす。すると、杖が青白い光を帯び、ほんのり温かくなった。なかなか気持ちいいな、なんて思っていると、元の調子に戻ったマジョさんが話しかけてきた。
「少し時間がかかりそうだから、雑談でもしようか。一つ聞いてもいい?」
「何でしょう?」
「キミは、この世界が憎いと思ったことはあるかな?」
声色こそ穏やかだが、内容は物騒極まりない。マジョさんは憎んでるような言い方だし。
けれど、私は迷いなく答える。
「いいえ、全く。でなきゃ、こんなことしませんよ」
私はこの世界が大好きだ。動物も、植物も、空気も、土も、全部。人間も、歴史も、人工物も、全部。この世のあらゆるものが大好きだ。この世界にはいろんな面があって、そのどれもが美しい。その全てを愛している。そんなことをマジョさんに語ったら、軽く引かれた。
「︙︙負の側面とか、見たことないの?」
「それも世界の一側面じゃないですか。全部ひっくるめて美しいと思うんです」
「はぁ、それで命削って魔法使うとか︙。キミ、狂ってるだろ?」
なんか馬鹿にされたみたいだ。だったら私も言い返すしかないだろう。
「むむむ︙。それじゃあ、マジョさんはなんでーーーーー」
「おっと、時間だ。その話はまた今度」
「私、今から死ぬんですけど」
「はっはっは」
はぐらかされてしまった。微妙にモヤモヤするが、ここからが本番だ。切り替えていかなければ。青白い光が消え、マジョさんが私から距離を取った。
「では、行きます」
杖の真ん中辺りを両手で握りしめ、杖の下の方を地面に当てる。
「我が身、我が命を以って告げる」
心臓に鈍い痛みを感じる。
「■■■報復■」
どす黒い円形の幾何学模様が現れる。
「捨■■■■■■■■■報復■」
強い風が吹き荒れる。
「紡■■魔女■名■ーーーーーーー」
痛みが全身を駆け巡る。
「屑籠■底■■舞■戻■」
私はただ前を見据えて、
「汝■暗闇■■誘■■」
呪詛を並べている。
「《魔法》」
最後の一節を読み上げ、杖を持ち上げた。空はきれいな青色だった。
そして、世界のどこかで。
誰にも観測できない領域が現れた。
大きさは大都市一個分。
そこには闇だけが広がっていて、中に入ったものは戻ってこない。
しかし何よりも異常なのは、そこに今まで何があったのか、全く分からないということだ。
記憶にも記録にも残っていない。
一切の痕跡を、その闇は消し去った。
「ふ」
思わず、
「ふふ」
私は、
「あははははははは!」
笑みを零した。
壊れていく。壊れていく。世界中で、私によって、美しいものが壊れていく。その感触が、私に直接入ってくる。言葉にならないような感情を、私は堪能している。
動物も、植物も、空気も、土も、全部。人間も、歴史も、人工物も、全部。この世のあらゆるものを、私が壊している。
一分後、その感覚は数を増やした。また一分後、その興奮は数を増やした。
そんな中、私は杖を掲げている。
ーーー私がこの世界を救うんだ、なんて言う間もなく!
ーーー私が全部、ぶっ壊してあげる!
と、謳いながら。
「あはははは、あはははははゲホッ」
血を吐いた。気にしない。
「あはははは、あはははははは!」
私はただ、大好きなこの世界を壊すだけだ。
「キミ、やっぱり狂ってるよ」
魔女は呟いた。
まだ感想がありません。よろしければ投稿してください。