正義と悪の等式

一.

Spring roll が宙で指揮を描く。

そろそろか。そろそろだ。

長身の男は春巻きを口に放り込み、

食事の席から立ち上がっては窓を開いた。

夏のムワッとした空気が部屋の中に流れ込む。不快指数がグンと上がる。

そんなことはお構い無し。

男はその長身を窓から乗り出して、そして金髪を風に靡かせては空を見上げた。

ーー次の瞬間。

グォォオオオォオオオオオオオ

轟音を轟かせた戦闘機が一機、空を切った。

我が母国の戦闘機、F/A-18である。

米国産の男は愛国心を胸に、笑みを顔に浮かべ、満足そうに頷く。

二〇一四年、日本。

男は日本の田舎に住む中国人宅に、ここ二週間ホームステイしているのだ。

戦争を放棄した平和なこの国の空を、今日も駐留米軍基地へと帰還する戦闘機が、この家の上を飛んで行く。

ホームステイといっても、学生では無い。

男は今年で二五になる。仕事の関係でここに来た。

中国人宅ーー日本語を話す大学生くらいの女と、その女の母親である日本人と、父親である中国人。

そのためこの家は一階が中華料理店となっており、男が寝泊まりしている二階も同様に中国色が強かった。

ここはいい場所だ。

中国系の家庭にホームステイしているとて、窓を開ければ一面 美しい日本の田舎風景が広がってーー

「閉めて!」

突然、女の高い声が、男の耳を突いた。

日中夫妻の愛娘が帰ってきたのだ。

彼女の部屋も男の部屋と同じく二階にあり、昭和初期に建てられたこの家の二階は、各部屋部屋が薄く隙間のある扉で仕切られているだけだった。

暑さ寒さが階全体に漏れだす。

女はこれにうるさかった。

「窓を開けて見てみるといい。

外は美しいですよ」

男は女に呑気にそう言ってみせた。

「窓を開けなくたって外は見えるわ」

「この家の窓はくすんでるよ」

「ねー、イギリス人は皆こうなの?

真夏でも窓を開けて、外の美しさに見惚れて熱中症で死ぬの?」

女はそう吐き捨てるなり、男の部屋の入口付近にかけて合ったクーラーのリモコンを取り上げた。まもなくクーラーから冷風が流れ込む。

男はやれやれとため息をつき、暑さに顔を顰める女に従って窓を閉めてやる。

構わない。目当てのものは聞けたのだ。

我がアメリカの戦闘機の轟かせるあの音を。

男は軍人ではなかった。

ただ男の祖父や父、そして叔父は軍人で、ベトナム戦争やアフガン紛争に行った経験がある。

特に空軍であった父のおかげで、男は戦闘機の軍事知識に富んでいたのである。

そして何より男は、愛国心が強かった。

二.

その日は雨が降っていた。

男は窓を開け、煙草に火をつけた。

トランクケースに部屋に散らかった雑誌やら洋服やらを押し込んでいく。

四週間に渡る日本でのホームステイ生活も、あと一日で終わりになるのだ。

ーー何もかもしまわねば。何もかも。

ここに何も残してはならない。

最終日の生憎の雨に、男は煙混じりのため息を吐く。

時計を見、ポケットから衛星電話を取り出した。登録された番号から同僚に繋ぐ。

「準備、出来てるだろうな」

「ーーー」

「ーー」

·····

男が職場の同僚への連絡を終え、目を瞑って雨の音に身を委ねていると、扉の奥からギシギシと階段をのぼる音が聞こえてきた。

女が帰ってきたようだ。

「おかえりなさい」

男は扉越しにそう女に声をかける。

女から返事は無かった。

「どうかしたんですか」

流暢な日本語で女に声をかけ続ける。

そして次には、女がウゥと喉を鳴らしたのが聞こえた。

何事かと扉を開ける。

女は泣いていた。

どうしたんですかと女に近寄り声を掛けてやる。女は嗚咽混じりにこういった。

「あなた、もうイギリス帰っちゃうの」

男は目を丸くした。目の前の女は、沸点の低いこの女は、男の為に泣いていたのだ。

男は女の背中を摩り

「今日は呑みに行きましょう。二人で。」

と声をかけてやった。

女は大きく縦に首を振った。

男は雨の中、女と酒を呑みに出かけた。

安い居酒屋を適当に見つけて、席に着いた。

良い時間だった。

男は自らがホームステイ理由としていた

日本での取材関係の仕事のこと、自分の大学生時代、イギリスでの生活について女に教えてやった。

女は酒に背中を押され、大学のこと、友達のこと、四週間、男を本当の兄のように慕っていたことをすべて告白してくれた。

強く当たってしまったのはそのせいだとも。

中でも女は父への愛を多く語った。

彼女はいずれ、父の中華料理店を継ぎたいとも口にしたのだ。

「へえ、お父さんの中華料理店を。

素敵ですね」

「お父さんはね、昔この辺りに労働目的で来ていたお金のない日本人と中国人の人達に、無償で料理をあげていたこともあったのよ」

女は答えた。

「お父さんは私の正義なの。

私はお父さんを尊敬し、愛しているわ。」

と。男はそれに、何も返さなかった。

居酒屋を出る頃には、もう夜が明けていた。そんな帰り際の二人のはるか上空を、爆音で戦闘機が飛んでいく。

「やあね。大きな音」

「アメリカの戦闘機かな、」

そう呟いた男は決して戦闘機を見上げることをせず、ただ地面を眺めていた。

二人が帰ると、日本人である彼女の母が中庭をうろついていた。

彼女の父である中国男が家に戻らない

というのであった。

女は動揺したが、男が

「戻らないと言ってもまだ半日ですよ。

きっとどこかに気晴らしにドライブにいったのかも、食材を買いに行ったのかもしれない」

と声をかけてやると、そうね、と言って男に微笑んだ。

そして女の父親が戻らないまま、男は飛行機でイギリスへ向かった。

女は涙を浮かべて、イギリスへ帰る男の後ろ姿を見送った。

それから二年が過ぎた。

女の父が戻ることはなかった。

三.

CIAのパラミリタリー。

それはアメリカのCIAという諜報(スパイ)機関の、準軍事組織である。

準軍事組織というのは、警察をはるかに上回る権利や装備を持ちながら、軍までとはいかない組織であり、アメリカ国内の治安維持や暴動鎮圧に務めている。

そしてCIAということで、やはり極秘作戦にも参加する。

アメリカにとって都合の悪い人間、

アメリカにとっての悪を抹消する。

男がそれだった。

一度は軍に志願したものの、その後CIAに就職、そしてパラミリに所属した。

愛国心は尽きることを知らず、暗躍しては、米国に不利益を被る人材を消して行った。

女の父を消した。

簡単な話である。

あの父親は昔、中国の諜報員(スパイ)で、我が米国の機密を盗んだのだ。

イギリス人と偽り、アメリカのCIAのスパイである男が日本に侵入することは容易かった。

偽造のパスポート。

そして訛りの効いたイギリス英語を添えて過去に一度行ったイギリスのコッツウォルズの風景の素晴らしさでも熱弁してやれば、大体の人間はイギリス人だと信じて疑わないものである。

そして四週間、中国男をつけた。

それからあの日ーー女と酒を呑みに行ったあの日、実行班に連絡し、殺させた。

ーーこれは正義だと思っていた。

男は愛国心に酔っていた。

あの中国産の諜報員(スパイ)である中国男がこんな異国の地に逃げ込んで、そして田舎で、家族を愛し、家族に愛され生きているなんて、考えもしなかったのだ。

女はあの父親を愛していると言っていた。誇りに思っているとも。

あの父親は、女ーー娘にとっての正義だったのだ。

中国産の諜報員。

中国男はスパイ活動を米国で行った。

中国のために。

米国産の諜報員。

米国の機密を盗んだ中国男を殺した。

米国のために。

中国にとっての正義は、

米国にとっての悪であり、

米国にとっての正義は、

一人の娘にとって、

父親を奪った悪に過ぎなかったのだ。

馬鹿馬鹿しい愛国心であった。

男は母国アメリカのために、愛国心を捧げ、正義のためと信じて働いてきた。

それなのに。

ーーあの娘、もちろん私が父親の失踪に関与したとは気づかまい。

しかしきっと、やり場のない憎悪を、娘は今も心に持っているはずなのだ。

この世界は悪と、正義の色をした悪でできている。

この平和という白いキャンバスのような世界に、犯罪の悪という黒いインクが所々に垂らされているのではない。

透明な世界が、まず白い色をした悪ーー正義に見える悪で塗りつぶされ、

その上に分かりやすい黒い悪ーーマフィアや麻薬カルテルなどが存在しているだけなのだ。

平和な世界はまやかしであり、

世界は悪で満ちている。

我が母国も、世界も、悪で汚れている。

ただみんなが、それが悪だと気づかないだけで。

ーー現に私は、あの女性の父親を殺した組織ではないか。国ではないか。

男を正義だと、女の父親を正義だと、

この世界で誰が決められるのだろうか・・・

四.

中国男を殺してから四年経った。

あの任務以来、男が自分の国に、組織に、

誇りを持つことは無かった。

ーー軍事を司る空の鳥も、

国家を名乗る我らが組織も。

我が国の誇りであり、正義であり、

世界の汚点、悪だったのである。

男が軍事用航空機を見上げることはなかった。

これからもない。

出来ないはずなのだ。

我が母国の具現化された誇りと愛国心は、

いつか誰かの母国を爆撃するために、今日もこの空を飛んでいるいうのだから。

それを考える度に、

あの中国娘が浮かぶのである。

誰かの正義のために戦うことは、

誰かに悪を与えることと等価なのだ。

それは決して誇りではない。

 

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