朝が来てもアラームは鳴らない。
何となく目を覚まし、上体を起こす。そしてベッド横のカレンダーで日付を確認する。今日は3020年12月31日。
︙︙ああ、そうか、大晦日か。
英文が全てチェロキー語か線文字Bに見えるくらい勉強嫌いで怠け者の私は、遂に冬休みの宿題に一切手をつけることなく年を越そうとしている。代わりに毎日趣味に夢中になって、既に昼夜逆転の一歩手前まで来ている。
小さい頃は親も先生も感心する優等生だったのになあ、と誰かの同情を誘うようなわざとらしいため息をついた。周りには誰もいないのに。寂しい大人になると、自意識ばかりが肥大していって良くない。
そんな孤独な私には同居人がいる。といっても人ではない。祖父から貰った犬型のロボットである。名前はそのまま『ロボ』。何故か無性に懐かしさを感じさせるデザインと、プログラムにとにかく忠実に従う正確さが特徴だ。
午前六時きっかり、いかにも機械という感じの少しぎこちない足取りでそのロボが私の元にやってくる。ロボが踏み出すのは決まって右足からで、ちょうど十歩の所で立ち止まる。そして一声吠えてからベッドに飛び込んでくる。
ただ、こんな風に、正確すぎてあまり愛嬌がないのが残念な所で、ペットを飼っているような気はしない。この一連の流れは祖父曰く私を起こすシステムらしいが、今日のように私がすっかり目を覚ましている時でも、彼はこうして律儀に段階を踏んで行動する。
でも、まあ、それもまた何となく微笑ましいので、ロボは私のお気に入りだ。
「おはよう、ロボ。今年最後の散歩に行こう」
今から五分後、ロボは散歩のために玄関の隅に座る。彼は機械なので散歩の必要性は特にないが、私の運動不足を心配してのこの機能らしい。一人暮らしだからといって、何もここまでしてくれなくてもいいのに。
私はベッドから出て、一段ずつ丁寧に階段を下りていくロボを追い越し、一階で適当に着替えて顔を洗い手早く準備を整えた。
ロボの散歩にリードは要らない。遅れてロボが玄関に辿り着いた所で、私は扉を開けた。
◆
外はもう別世界だ。人間と、人間に似た形の何かが、街に溢れている。
遡ること五百年前、機械の業界は大きく発展し、人口知能は人間の仕事を次々に奪っていった。そしてその技術に頼りきった結果、遂に機械は人間と同レベルの思考や自らの意思までも持つようになった。シンギュラリティの到来だとか終末論の答え合わせの始まりだとか散々騒がれたらしいが、相手側から声明として示された人類への要求は予想外のものだった。
『仕事を選ぶ自由』、それから『人類化』である。
︙︙まあ、簡単に言えば、人間と同じレベルに立ったのだから、同じように扱って欲しいという要求だ。
そしてこれは直ちに実行され、未だ不完全だが今では機械と人類との線引きが既に曖昧になりつつある。隣にロボットの一家が住んでいても何ら不思議ではないし、クラスメイトには少なくともひとりはロボットがいるのが普通。そういう時代だ。
実際、私にもそれぞれ全く個性の違うロボットの知り合いがいる。人間とロボットの混合集団が、散歩する私とロボとすれ違っていく。そして彼らはみな一様にロボを見て目を丸くする。白い目で見る者もいる。もはや現代において、意思のない機械なんてものは時代遅れであり、それを平然と連れて歩く私は変質者に見られても仕方がないのだ。
しかし正確無比さが求められてきたありとあらゆるロボットが人間と同一化してしまったことで、機械に依存しきった生活を送っていた人間の生活水準は低下した。世界は混乱し、熟考すべき悩ましい課題も一気に増えた。しかし今では何となく沈静化し、みんな機械との共存を受け入れ上手く順応している。
私は、機械が好きだった。正確で、素早くて、規則正しくて、条件が正常である限り動き続ける。昔の寡黙な職人が見せる熟練の技のようで、小さい頃私はよくそれに見入っていた。だから、機械が人と同じ立場に立つかもしれないと知った時、どんな世の中になるのだろうととても心躍っていた。
祖父にロボットの友達をねだったのも、多分そういう理由からだ。しかし祖父が私にくれたのは『ロボ』だった。喋らないし、毎日同じことを繰り返すだけで、彼自身に意思はない。私が抗議しても毎回祖父は『生きていないから、いいんだ』と言って聞かなかった。
︙︙生きていないから、いい。その言葉の意味が、今ならわかる。二十分の固定ルートでの散歩を終え犬用ベッドに座るロボの隣で、テレビをつけてソファーの上でくつろぎながら、ぼんやりと考えた。
人間とロボット。ロボットの意思の獲得により突如肩を並べることとなった両者は、しばらく混沌とした社会の中で戸惑いながら生きていくしかない。表面上は意外と上手く共存しているように見えるが、その関係性は常に緊張感を孕んでいる。もしかしたら、ひょんなことが戦争の火種になるかもしれない。
正確さの失われた社会。トラブル続きの毎日。その中にひとり暮らす私は、何一つ確信できない。私の好きだった機械はもう世界のどこにも存在しない。︙︙ロボ以外には。
今日も、明日から始まる新しい年も、ロボはずっと規則正しく動く。祖父の組んだプログラムに従って、正確に。たとえどんなことがあっても、意思を持たない同居人は、平気な顔をしている。何だかその姿は、生きているどんなものよりも勇ましくて、カッコいい。
そしてそんな彼を見ていると、私も不思議と安心してしまう。ああ、今日も世界はちゃんと回っているんだな、と。
◆
いつの間にか寝入ってしまっていた。目覚めると既に外は暗くなっていて、テレビ番組も年末の特番に変わっていた。
隣にいたはずのロボがいない。壁掛け時計をちらりと見た。︙︙ああ、もう寝床に入る時間か。
冷えた飲み物を持って自分の部屋を覗くと、ロボは私のベッドの方を向いて犬用ベッドに姿勢よく座っていた。電気もついていないのに、そこには誰もいないのに、真っ直ぐな目で。
何だか、泣きそうになった。
「ロボ」
電気をつけて同居人の名前を呼ぶ。彼はこちらを見ない。それもわかっている。それが嬉しかった。
「来年もよろしく」
隣に座って、テレビの代わりにタブレット端末を開いた。飲み物は特に意味もないが二人分注いでロボの前に置いた。久しぶりに祖父に連絡しようと思った。現在時刻は午後十一時三十二分。
この世の誰よりも生きている心地がした。
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