とある廃ビルの七階にある会議室。
十一人の男女が集まっていた。大きな丸いテーブルを囲んで十二個の椅子が時計と同じ様に配置されている。
個々が席に着いてボスを静かに待っていた所に静寂を突如打ち破る者がいた。
「そーいえば、うちのボスのこと何か知っている人いる?」
サングラスを頭にさした男が言う。彼は一時の位置にある椅子に座っている。
「だって俺たち訳ありメンバーがこうして集まってるけど、ボスはなんでこんな奴らのボスなんだ?」
「こんな奴らって」
六時の席に座っている女が苦笑した。薄い黄緑色の髪をくるくるいじりながらだるそうに言う。
「やっぱりボスも変人なんじゃない?」
「でも、なんでか分からないから知りたいってことか」
二時の椅子に座っている男が呟く。銀色の髪に黒縁眼鏡の男である。
「そう言うことなんだ。誰か知ってるやついねーのかよー」
「んなこと言っても知らねっつの」
吐き捨てる様に九時の椅子に座っている男が言った。蛍光ピンクの髪に顔面に沢山のシルバーピアスが付いている。
「あんた、昔、同じ職場だったんでしょ。なんかあるでしょ、情報」
六時の席に座っている女は相変わらずけだるげだ。
「特別な情報を知ってるわけではないんだが関係ありそうなやつなら知ってるぜ。ボスがあの職場を辞める最後の仕事の話だ」
九時の椅子に座っている男はニヤニヤしながら話を始めた。
++++
六十四年前のある日、工業で栄えていたとある街を巨大な地震が襲った。脳が直に揺さぶられていると錯覚するほどの激しい揺れが長い時間続いた。
その町の象徴とも言える工場の建物は次々に倒れ、あちこちで火事が起きた。業火の紅と闇の黑。その光景はさながら世界が終わる五秒前という光景で見た人は皆、戦慄した。
この災害で死者と行方不明者が合わせて約五百人出た。倒れた建物が道を塞ぎ、火事から出た黒煙が視界を覆ったため、人々は逃げ遅れてしまったのだ。
誰もが復興することを望んでいたがそうはならなかった。経済が停止し、何もかもがストップしたのだ。
また、大きい地震は何度もこの街を襲った。人々は「呪われた街」「気味が悪い」と言ってこの街の話をするのも避けるようになった。
そのせいか、街に住んでいた人は皆、街を離れてしまった。街から人が消えたのだ。
けれど、そんな全てがガラクタとなり炭となった都市に住み着いた者がいた。他の街で暮らせなくなっていた身寄りのない者、家が無い者たちである。
彼らは、ずっとそんな闇黑に成れ果てた街で互いに支え合って生きていた。
これは、そんなアンコクシティでのお話。
++++
「ボス、御用でしょうか」
「来てくれたか。クロエ、待っていたぞ」
八十階建のビルの最上階。そこに、今世紀最悪のギャングと呼ばれる組織のボスがいる部屋がある。
黒色の家具しか置いていないため、誰もが鯨に部屋ごと飲み込まれてしまったのかと勘違いすることだろう。
部屋を訪れた人の話によると、ボスの部屋はその面積が分からくなり、しまいには、部屋全体が歪んで見えるそうだ。
そんな奇妙な部屋の主人は部屋の中央にソファと机を1つずつしか置いていない。
今は、どっかりとそのソファに座っている。
少し紫がかったの白い髪を綺麗に撫で付け、カミソリの様な鋭い目で見る人を恐怖のどん底に叩き落とす。それが、このギャングのボスである。
下っ端には死ぬまでボスの顔は拝めない。観れるのはせいぜい準幹部以上の者だけだ。「クロエ、仕事を頼みたい。闇黑都市のことは知っているか」
しゃがれてはいるが、相手の心の奥に響く声でボスは言う。
「はい」
クロエと呼ばれた少女は答える。彼女の艶めいた白色の髪が揺れた。華奢な身体の彼女は赤いシンプルなワンピースを着ている。一見マフィアとは無縁の生活を送っていそうだが、彼女の蒼い目はボスと同じくとても鋭く、誰よりも冷たい。
「今回はな、このギャングが銃を密売するときに中間地点にしていた組織がやらかした。そこで、その組織を潰して来てほしい。メンバーはお前ひとりだけだが、それでいいか」
「はい、了解しました」
まるで事務作業の様に淡々とただ淡々とクロエは言う。
クロエの声には抑揚がなく、機械の様だ。
「俺らが買った銃を横流ししたんだ。このギャングの物に手を出したらどんな事になるかしっかり教えてやれ」
ボスの声が冷たく部屋に響く。
「はい、ボス」
「話はこれで終わりだ。帰っていいぞ」
「はい、失礼します」
クロエはボスに一礼して部屋を出て行った。
ボスの隣にずっといた女性秘書が口を開く。
「ボス、本当にクロエだけでいいのですか? 一人というのは流石にどうかと」
「私に口答えするつもりかね」
秘書はボスの声を聞いて震え上がってしまった。そして、ここで一言でも声が漏れてしまったら自分は殺されるだろう、そう思った。
「君には彼女がどういう風に見えたかな」
ボスは秘書を試す様な口ぶりで言う。
「か弱そうに見えたなら君の目は節穴だよ」
「いっいえ、決して純粋な少女という感じではありませんでした。彼女は沢山の人の死を見て生きていています。そうでなければ、此処には入れません」
「そうだね。けど︙︙」
ボスは一人呟くように言う。
「彼女は、今まで見た中で最高の殺し屋だよ。なんせ彼女は標的は確実に殺す。勝率百パーセントなのだから。噂によると一度死んでも標的を殺すために生き返るらしい」
くくくと声にならない声でボスは笑う。
「本当に素晴らしいよ、彼女は」
「お前、仕事行くのか?」
クロエが乗ったエレベーターの中。途中で乗ってきた男がクロエに話しかけた。男の髪色は蛍光ピンクで、顔面にシルバーのピアスが山程、付いている。
しばしの沈黙が二人の間に流れた。
「ボスから仕事を貰った」
クロエは男のことを一瞥して言った。冷たい瞳が男を貫く。
二人の身長の差は約五十センチ。クロエが男を見上げる形になった。
「いいなぁ。俺も仕事したいわ。てゆーか。お前、名前は? 俺はフローレンス」
「ボスから貰った名前、クロエ」
「へー。お前がクロエね。じゃあ、クロエちゃん、自分の名前の意味ちゃんと知ってるのか?」
「知らない。知る必要無い」
冷たく言うクロエのことなどお構いなしにフローレンスは続ける。
「残酷なっていう英語あるだろ。クルーエル
ってやつ。あれをもとにしてるらしいぜ、お前の名前。ボスが言ってた」
「︙︙」
「なんか反応しろよ!」
チンというベルの音がしてクロエの目的の階に着いた。
「私は此処で降りる」
「じゃあな、また会おうぜクロエ」
最後にフローレンスは右手を上げ、手を振った。ニヤニヤした笑顔を浮かべて。
それから三日後。クロエは闇黑都市に到着した。電車と車を使い、それから丸一日歩いてようやくたどり着いたのだ。
クロエは一回深呼吸をして闇黑都市を見た。
鉄製の壁がぐるっと都市を囲んでいる。高さが二十メートルほどあり、外からでは中の様子は一切見えない。
クロエは壁の周りを一周してみることにした。
鉄の壁の外は森だった。青々とした緑が誰の手を借りるでもなく生きている。時折、鳥の声も聞こえてくる。都市にいる人たちは外の景色のことを知っているのだろうか。
自然の中にある黒光りする鉄の塊があったらそれは闇黑都市だ。
しばらく歩いていると壁の一部にぽっかり穴が開いているのを見つけた。大人一人がすんなり入れそうな穴だ。
誰かが壁をぶち抜いたのだろうか。
クロエはその穴から中に入ることを決め、闇黑都市に足を踏み入れた。
都市の中の状況は酷いものだった。六十四年前に倒れたままの家やビルが重なり合って新たな建造物になっている。あちこちに鉄くずや鉄パイプ、木材が散乱していて、足の踏み場もない。その間には、何かの機械から漏れたであろうオイルが流れていた。
クロエはそんな物、はじめから見えていないかのごとく軽やかに木材を踏みつけて歩いていく。ワンピースの裾をオイルが汚していくが、クロエは全く気にしない。
組織の人間を見つけるために一度、都市の一番高いところから街を見下ろしてみようとクロエは思い立った。歩くスピードが速くなる。
かつて、水が通っていたと思われる配管が地震の影響であらぬ方向に捻じ曲げられていた。それらが重なりクロエの行く手を塞ぐ。
すると、クロエは自身のワンピースの裾をたくし上げ、自身のその白い左の太ももにバンドで固定していたあるモノを取り出した。それは多機能ナイフだった。クロエは沢山のナイフの中から一本を選んで配管に向かって二回ほど振った。すると、ぱっくりと配管が根元の部分から切られて崩れ落ちた。まるで、パイプ自らにかかる重力に耐えられなかったみたいに。
クロエは何事もなかった様にできたスペースを通り、歩みを進めていた。
歩いて数分のところで男に話しかけられた。 ボロを被って顔をすすだらけにした男だ。
「ねぇ、嬢ちゃんどうしたの?こんな所にいたら危ないよ」
男はじろじろとクロエのワンピースを見る。
「そんなんじゃ、悪い奴に金目の物とか盗まれちゃうよ」
「お嬢ちゃん、行くとこないのなら、おじさんがいい所連れてってあげるよ」
「お嬢ちゃん? どうしたの? ねぇ、お嬢ちゃん?」
クロエは短く深呼吸をした。
すると、男の首筋から鮮やかな紅い液体が噴き出す。
「えっ」
男は立っていられなくなり、地面に顔を埋める様にして倒れこむ。
男は信じられなかった。少女は全く動いてない。では、一体誰が自分の首筋を切ったのか。もし目の前の少女だとしたらあの一瞬で何をしたのか。
妖怪にでも会った顔をして男はクロエの方を見た。男は少女が無表情なのに気がついた。目の前の男が死にそうになっているのになんの感情も表に出さない少女。男は少女に恐怖したところで力が尽きた。
クロエは男の力が尽きたことを確認してまた歩き出す。
闇黑都市の一番の高い場所は城のようになっていた。城は崩れかかったビルが互いにもたれかかって出来ている。
クロエは塔の一番上に小さな家が建っている事に気が付いた。組織のメンバーがいるのではと思い、クロエはビルの中に入る。
かつて、沢山の会社がこのビルに入っていたのだろう。ビルの中はガラスと小さなデスクがごちゃごちゃになっていてる。傾いているビルの低い方にデスクがうず高く積まれていた。
クロエは階段を使って屋上を目指した。階段が斜めになっていて、足場がない所もあった。けれど、クロエは軽やかな足取りで上っていく。ねじ曲がった階段を上っていく少女という光景はさながら不思議の国のアリスだった。
屋上に出る扉は開いていて外に出ることが出来た。
少し強い風がクロエの髪を揺らす。クロエは風などおかまいなしに闇黑都市を見た。
至る所がすすだらけで街全体が黒ずんでいる。住んでいる人々が皆、小人の様だ。みんな忙しなく動いているが、活気が感じられない。この街全体が死んでいるみたいだった。
クロエには青いはずの空が黒くみえた。
すると、クロエの隣に少年が立っていることに気がついた。
ふわふわの白い髪に澄んだ深緑色の瞳。
クロエはすかさず後ろに跳んで少年から距離をとる。
「︙︙︙︙」
無言で相手を睨みつける。すると、少年は一瞬驚いてにっこりと微笑んだ。
「どうしたの? そんな怖い顔して」
「貴方は? 誰?」
「ぼくはトウリ、君は?」
クロエはトウリの目をしっかり見つめる。
「クロエ」
これがトウリとクロエの出会いであった。
「クロエはどこから来たの? この街に来たのははじめてだよね」
トウリはクロエに興味津々の様だった。クロエの瞳や髪をずっと見ている。
「君が知らない遠い場所から来た。この街ははじめて」
それに対してクロエの言葉はトゲトゲしい。
「あのさ、クロエ。そろそろその警戒解いてくれないかな? お茶でも飲みながら話さない?」
トウリは少し困った顔でクロエの顔を見つめる。トウリの顔を見てクロエもまた困ってしまう。本当は急いでボスの任務に取り掛かりたいのに。
「分かった」
クロエは観念して頷いた。トウリの笑顔の花が咲く。
「そう! よかった! じゃあこっち来て」
トウリの家にはキッチンとベッド、テーブルと椅子しか置いてなかった。家具も少ないが小物も少ない。
クロエはトウリの家にドアが二つ付いていることに気がついた。一つは今入ってきた方。もう一つは?
ジロジロ見ているとトウリが気づいてドアの前に立った。
「このドアの外は危険なんだ。でも、ものすごくステキな景色が見えるんだよ」
ドアを内側に開き、クロエを呼ぶ。ドアの外には足場がなかった。どうやらこの家は、ビルの屋上の端ギリギリにあるらしい。
「どう? この景色。この街が一望できるでしょ」
ドアを開けたトウリの顔はまるで自分の宝物を見せびらかす小さな少年の様だった。
長方形に切り取られた闇黑都市は夕日色に染まっていた。キラキラとしたオレンジ色の光が廃工場のアルミ製の太いパイプに反射して幻想的な雰囲気を醸し出している。
「気に入ってくれたかな?」
クロエはこの景色がさっき見た都市と同じものなのかと疑った。
「きれい。とても」
さっきまでは街が死んでいると思っていたのに。これじゃあ。
「生きているみたい」
クロエがボソッと呟くとトウリはにっこりと微笑んだ。
「そうでしょ? この景色は最高なんだ。ぼくの宝物」
しばらくの間、二人は闇黑都市の景色をただただ眺めていた。
「あ! ごめんね、クロエ。お茶出すの忘れてた。今からいれていい?」
クロエはこくりと頷いた。
「じゃあ、急いで入れるね」
トウリはパタパタとキッチンへ走って行く。
一人になったクロエは今回の任務のことを考えていた。
この夕日がきれいな街に倒さなければいけない組織があるのか。けど、見つけるのは大変そうだ。
クロエは都市全体を見渡す。
昼も夜もあまり人が出歩いていない。外に出ない人は建物の中にいるのだろうか。隠れているとしたら見つけるのに時間がかかるだろう。長い任務になるかもな。
クロエはため息をついた。
仕事は嫌いではないが、好きでもない。だが、ここにはフルーツタルトがない。
「おまたせー。はい、お茶」
トウリが湯気の立つティーカップを渡した。ごくごくと一気飲みするクロエ。
「紅茶?」
「そうだよ。美味しい?」
「美味しくはない」
間髪入れずにクロエは答えた。いつもいれてもらっている紅茶の方が美味しかったのだ。
「本当?」
「本当」
「頑張ったんだけどな。クロエっていいお茶飲んでるんだね」
「いいお茶かどうかは分からないけどトウリのお茶は味がしない。だから、美味しくない」
「えっ。そうなの? 全然分からなかった」
「分からない方がおかしい」
トウリは、クロエの口元がほんの少し緩んだように見えた。
「じゃあ、これからもっと頑張るから美味しくなってるか確かめてね」
「分かった」
「そういえば。クロエは今日泊まるところあるの? これからこの街にいるんだよね?」
「ない。けど、大丈夫。道で寝ても平気」
「そっそんなんじゃダメだよ! クロエは女の子なんだから!」
トウリは本気でクロエのことを心配してるみたいだった。怒られた。トウリに。クロエはそう思った。
「あ! そうだ!」
トウリはポンと手を叩く。
「ぼくの家に泊まるといいよ。ぼくが床に寝るからクロエはベッドね」
クロエは首を傾げる。本当に意味がわからないという顔をしている。
「なんで? トウリのベッドなんだからトウリが寝ればいい」
「いーの。いーの。さ、もう寝よう。クロエ、おやすみー」
トウリは床に寝転んでしまった。
しばらくトウリのことを見つめるクロエ。クロエはベッドの上に寝転んだ。
そのまま眠りにつく。
++++
クロエは部屋中の温度が上昇したことを感じ、目が覚めた。トウリがやかんをガスコンロに置いて火にかけている。
「起きたんだね、クロエ。おはよう。今、紅茶淹れるね」
クロエはなんとなく昨日見た景色が見たくなってものすごいスピードでドアの前まで移動していった。
ガチャリとドアを開けるとそこには昨日見た景色とはまた別の景色があった。
「?」
思わず首をかしげるクロエ。そして、太陽が自分の頭の上あたりにあることに気がついた。どうやら、昼頃まで寝ていたらしい。
「お茶できたよ。座って」
トウリの部屋には椅子がないため二人はそのまま床に座る。
「なんで起こしてくれなったの」
トウリがティーカップをクロエの前に置く。そして、クロエは続けた。ドアの向こうの景色を指差しながら。
「わたしは、こんな時間まで寝ていたことはない。こんなこと初めてだ。あと、なんでこの街は昨日と景色が違う? あの建物。昨日より三十度傾いている。何故?」
ふふっとトウリは笑った。優しい目でクロエを見つめる。
「クロエはまるで機械みたいだね。淡々としゃべる。初めて会った時からそうだけど」
ふふとまた笑う。
「でも、ぼくは︙︙」
「そんなことは今はいい」
クロエはトウリの話を遮って言う。トウリの瞳を見つめながら。
「わたしの質問に答えて欲しい」
「︙︙分かったよ。そんなに真剣な目で訴えられたら答えるしかないよね。一つ一つちゃんと答えよう」
トウリは指を一本立てる。
「まず、一つ。クロエを起こさなかったのは気持ちよさそうにぐっすり寝てたからだよ。ぼくはそんな人を起こせない。で、そのまま眠ったクロエはさっき起きたってわけ」
トウリは指をもう一本立てる。
「そして、二つ目。こっちの方が気になるみたいだね。それは、この街を地震が襲ったからだよ。ビルが傾いているのもそのため」
「でも、わたしは地震があったこと知らない」
「そうだね。その時クロエは寝てたから。そこそこ大きな地震だったんだけど寝てたから気づかなかったんだよ」
クロエは納得したようだった。でも、自分がそこまで熟睡していたことが信じられないらしい。
クロエの表情を見てトウリは言う。
「多分、昨日クロエが飲んだ紅茶がキーマンだからだよ。キーマンにはリラックス効果があるよ」
「キーマン?」
「うん、そうだけど?」
「わたしがいつも飲んでるのもキーマンだけど、トウリのお茶からキーマンの香りがしなかった」
トウリは考える。
「おっかしーな。本当? 何が違ったんだろ。ぼくにはちゃんと味がしたのになー」
「トウリ」
クロエがトウリを睨む。
「睡眠薬入れた?」
「え? まさか! そんなことするはずないよ!」
トウリのリアクションをじーっと見るクロエ。その動きに嘘は見られなかった。
「お茶冷めちゃうよ」
トウリがティーカップを口元に運ぶ。クロエもお茶を飲んだ。
「味がしない」
ぼそりとクロエは呟く。ティーカップの中には確かに紅茶色の湖がある。
「あー美味しい」
びっくりして隣を見るクロエ。トウリはごくごくと紅茶を飲む。
「味覚音痴」
クロエはトウリに聞こえないようにぼそっと呟く。
「ん? なんか言った?」
「何も言ってない」
何も気づかないトウリが面白くてクロエの頬が緩んだ。それをなんとなく隠したくてクロエは味がしないお茶を飲む。
太陽がまた傾いて午後三時半ごろ。
「クロエは何しにここに来たの?」
トウリはふと思い出したように言った。
「任務」
「そうなんだ」
クロエは任務の内容を聞いてこないトウリのことを不思議に思った。
「いつまでここにいるの?」
「分からない。けど長くなると思う」
長くなるとクロエが言った時トウリの表情が明るくなった。
「じゃあ、そのお仕事が終わるまでここに入ればいいよ! ここにはぼく以外誰も来ないから大丈夫!」
「トウリがいいならそうする」
ガッツポーズをするトウリ。クロエは聞いた。
「なんでトウリは嬉しそうなの?」
「ん? なんでかって? それはねー」
無駄にためるトウリ。何故かニコニコしている。
「クロエと長く一緒にいられるってことでしょ? それがぼく嬉しいんだー。だってクロエはぼくの初めての友達だからね」
友達と言うトウリは心底嬉しそうだ。
「友達?」
「そう、友達。ぼく昔からずっと一人だったから友達作るのが夢だったんだよね」
クロエはトウリを抱きしめた。よく分からないが抱きしめなければいけないような気がしたのだ。ぎゅっとトウリは抱きしめ返す。
突然だった。その時、地震が起きた。下からズドンと突き上げるような上下の揺れ。そこからすぐに横の揺れがくる。テーブルがあっちへこっちへ移動している。そこから起きる地響きにも似た轟音。
二人はすぐに屋上に出た。
クロエの目に映った都市は形を変えていった。ビルが倒れ民家が潰れていく。
地震が収まった後。人々が建物から出てきて燃えている建物の消火活動をし始める。
トウリはこの光景をただ呆然と見ていることしか出来ない。するとだんだん黒い雲が街を覆い始めた。そして街全体を覆い尽くすと雨が降ってきた。
「トウリ大丈夫?」
クロエが呼びかけるがトウリは答えない。
トウリを見ると目一杯に涙を溜めていた。
綺麗な緑色の目から雨にも似た大粒の涙が流れていた。
クロエはトウリの背中をさする。クロエはトウリの背中をさすりながら街の様子を見ていた。
消化活動が終わった人達はみんな廃工場や崩れかかったビルとビルの間に逃げるよう帰っていく。雨が強くなる。
「もう大丈夫。平気だよ」
泣いていたトウリが言った。
「トウリ。今のは余震だと思う。もっと大きい地震来る。早くココから逃げた方がいい」
クロエは地平線まで続く黒い鉄の箱達を見て言う。その口調からは強い意志が感じられた。
「いや、ぼくはここにいるよ。ぼくはここから離れない」
静かだがトウリの意思は強いものだった。
「ぼくはクロエの方が心配だよ。早く任務とかいうやつを終わらせた方がいい。大きな地震が来る前に」
しばらく考えてクロエは頷く。
「分かった。そうする」
「これからどうする? クロエ」
「トウリ。私にこの街で一番の情報を持ってる人を教えてほしい」
ビールが自慢の酒場、ライオンの家。
現在、店には四人のお客がいた。筋肉ムキムキの男達が店の入り口近くにあるテーブルを陣取っている。帽子を目深にかぶった男はカウンターの一番奥に座っている。男の団体客はもうベロベロになって馬鹿騒ぎをしている。
チリリン。
ベルの音がしてマスターは店の入り口を見て言う。
「いらっしゃいませ」
一瞬の静寂がライオンの家を包み込んだ。
マスターの声に店内にいた客も皆入り口に立っているであろう新しい客を見た。
そこに立っているのは赤いワンピースの八歳くらいの少女とその兄らしき十歳くらいの少年だった。
「ぶっ。ぶあははははははははは!」
ビールをガブガブ飲み、男が笑った。この街でこんな時間に子供が酒場にいたらどうなるか分かってんのか。こいつら、馬鹿なんじゃないか?
男の笑い声につられて他の男達も笑い始める。
「どうしたんでちゅか? お兄ちゃんとお嬢ちゃん? こんな時間に外歩いていたらどんなことになるか分かってるんでちゅか?」
男は二人の少年少女に向かって言った。明らかに二人のことを馬鹿にしている口調だったので大笑いする男達。
「クロエ、あの人だよ」
少年がそういうと少女は帽子を目深にかぶった男に近づいていった。
「おお、お父さんを探して来たのか。こんな雨でもうこんな時間だもんな。お父さんが心配かー」
男達はビールも飲んでご機嫌だ。また、からかうように言う。
「そうだよな。そうでもなきゃ外であるかねーよな。夜、外に子供が歩いていたらあぶねーもんな。売られたり奴隷にされちまったらかなわねーもんなー」
男達の声はクロエと呼ばれた少女には聞こえない。
「貴方がメイソン?」
メイソンと呼ばれた男はクロエの顔をじっと見る。そして、ビールジョッキを静かにカウンターに置いた。
「メイソンは俺だ。でも、なんでお前が俺の名前を知っている?」
メイソンは帽子を取った。顔に刻まれた傷が否応にもクロエの目に入る。
「そして、お前は誰だ?」
静かに飲んでいるところを邪魔されて怒っているのかドスが効いている。
「わたしはクロエ」
「ぼくがクロエにメイソンを紹介した」
クロエの隣にさっきの少年、トウリが立つ。
「ほぉ。トウリが、か。久しぶりだな」
トウリを見てメイソンの表情が少し柔らかくなる。
「で、何の用だ」
「情報がほしい」
クロエは単刀直入に言った。トウリはあまりの純粋さに笑ってしまった。
「へえ。素直でいいな、お前。クロエ、だったか。でもな、俺はそう簡単にやすやすと情報は渡さないんだ。収入源だしな」
そう言ってビールごくごくを飲む。
「なら、勝負して勝ったら情報を渡して。負けたら情報を渡さなくていいし、今日の分のお会計をわたしがする」
「おいおい、本当かい? お嬢ちゃん?」
話を盗み聞きしていた男達が笑う。
「よしきた! そこまで言うなら勝負してやろうじゃないか。何で勝負するか︙︙」
ほろ酔いのメイソンは店内を見回す。
「店長。あそこのダーツ使っていいか?」
メイソンは店の奥にあるダーツボードを指差す。
「ええ。構いません。今準備しますね」
「どうだ? クロエ? ダーツでいいか? 嫌なら構わねーがそれなら情報は渡さないぜ」
「クロエ、やめておいた方がいいよ。メイソンはダーツで連戦連勝なんだ。あと、そんなお金どこにあるの?」
心配そうにクロエを見つめるトウリ。クロエは首を横に振る。
「問題ない」
「お! そうでなくっちゃな!」
メイソンはマスターからダーツをもらう。
「ルールはこうだ。三回投げて得点が高い方が勝ち。だが、そんな簡単なルールじゃつまらない、そう思わないか?」
「?」
「 だからさ。俺とクロエ、二人であそこ」
メイソンはダーツボードに近づき、ボードの中心をこつこつ叩く。
「このブルの中、インナーブルにダーツが当たらなかったらそこでそいつの負けっていうのはどうだ?」
「えっ。てことは、三回全てあのインナーブルに当てなきゃ勝てないってことですか? それはいくらなんでもきついんじゃ」
トウリが言うと男達も騒ぎ出した。
「おっさん、そいつはいくらなんでもひでーよ。まだ、子供だぜ? ダーツでいいっつったんも数回しかやったことの無いようなド素人だろ? そんな子供を相手にしちゃダメだろ。なあ?」
「ああ、そうだぞ! おっさん! 大人げねーよ!」
メイソンに対するブーイングが起こる。すると、メイソンがダーツを投げた。
カツンという音を立ててダーツがインナーブルに刺さる。
「クロエ、俺から投げていいか?」
「おいおい、まじでなんなんだよ。おっさん。ホントに当てやがった」
「構わない」
メイソンは笑う。
「じゃあそのまま投げさせてもらうぜ」
カツ。カツ。
メイソンのダーツがインナーブルに刺さる。
「どうだ? 俺もなかなかやるだろ?」
メイソンはダーツボードからダーツを抜きに行く。
「次はわたし」
マスターからダーツを一本もらうクロエ。
メイソンが戻って来たところで投げる。
クロエが投げたダーツは音を立てずにインナーブルに刺さった。
「すげーな!」
男達から歓声が上がる。
クロエはダーツを一本手に取った。そして、構えるとすぐに投げる。
「おおー!」
拍手が起こる。
マスターがクロエにダーツを渡す。
すると、メイソンが真剣な顔になって近づいて来た。そして、クロエの耳元で囁く。
「お前一体何者なんだ? お前ただのオンナノコじゃないよな?」
それに対してクロエは何も言わない。
「俺が勝ったらそれを教えてくれ。お前がどこから来たのか。何しに来たのか。お前が一体誰なのか」
「分かった。けど、それを言う必要はない」
クロエがダーツを投げる。そのダーツは吸い込まれるようにダーツボードの中心、インナーブルの中心に刺さる。
「すげえーーーー!」
「同点かよ!」
「ってことはもう一回勝負するのか?」
男達は興奮しているようだった。さっきまでの酔いは覚め、今起きているすごい勝負に釘付けになっている。
「いや、いい。クロエ、お前さんの勝ちだ」
ため息をつき、メイソンが言った。
「えっ! まじかよ! 良かったな、お前!」
男達がクロエを取り囲んで胴上げをしようとする。
メイソンはカウンターに戻って一人ビールを飲み始める。
トスンとメイソンの隣に誰かが座った。メイソンはマスターに言う。
「こいつにアップルフレーズルを一杯頼む」
「はい、かしこまりました」
しばらくしてトウリにカクテルが出された。
「飲めよ」
メイソンが言う。
「お前の言いたいことは分かる。なんで俺が負けたんだってことだろ?」
メイソンはほんの少し笑みを浮かべていた。
「ええ、ぼくでもそれくらい分かりますよ。でもなんでです?」
「ああ、お前さんにもバレてたんか」
メイソンは店の奥で男達とダーツ勝負しているクロエを見て言った。
「実はな。マスターがクロエに渡した最後のダーツ、重さがちと軽いんだ」
「えっ。それじゃあ」
「ああ、俺はイカサマをしたんだ。けど、結果的にはそんなの関係なくあいつは的のド真ん中当てちまった。まったく、すごいやつだよ。完敗だ」
ビールを飲み干すメイソン。
「あいつ一体ナニモンなんだ?」
「ぼくもよく分からないんです。昨日会ったばかりで」
そう言うトウリは少し複雑な顔をしている。
「そうかい。けどあいつはタダモンじゃねえ。それはお前さんも分かるよな?」
後ろで男達が騒いでいるのが分かる。次はダーツを投げる講座をしているようだった。
「でも、ぼくはクロエを信じてます。クロエはあまり感情を顔に出さないけど彼女の笑った顔はすごく可愛いんですよ」
トウリはカクテルを飲む。
「ぼくはそんな彼女が好きなんです」
「そうかい。そうかい。聞いているこっちが恥ずかしくなりそうだ」
メイソンはへへっと笑う。
「どうだ? そのカクテル」
「甘くてとっても美味しいですね! ぼくこれ好きです!」
「おーい! にいちゃん! こっち来いよ! ダーツしようぜ!」
男達がトウリを店の奥に手招いた。
「いいですよ! メイソン、教えてくれてありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をするトウリ。
「おう、早く行ってやれ」
「はい」
トウリは男達に呼ばれて店の奥に行ってしまった。
トウリがいなくなってからしばらくしてメイソンはトウリのいた席をふと見た。隣は空席だと思っていたのにいつのまにかクロエがトウリの飲んでいたカクテルと同じカクテルを飲んでいた。
「っ。気配消すなよ。怖いだろ?」
「美味しい」
「無視か!」
メイソンは笑う。
「やっぱ面白いな! クロエは! ははは!」
「?」
「まあ、いいんだけどな。それにしてもダーツうまいな。ド真ん中だもんな」
「まぐれ」
「でも、最後のダーツは少し軽かったの気づいたんだろ? それに気づかないまま一二本目と同じように投げてたら軌道がずれて狙っていたところに刺さらない。そうゆーつもりだったのによー」
「そう? あれくらい簡単に分かる」
「で、お前さんが来たってことは情報だな。いいぜ。教えてやる」
「わたしが知りたいのはこの都市でギャングの銃を横流ししているっていうやつの情報。あと、トウリについて」
メイソンはクロエの目を見る。その表情には驚きを隠しきれていない。
「そんなのが知りたいのか? 俺はその情報知ってるが知って何になる?」
「わたしはそいつらを追っている。ボスの命令で」
「お前、ギャングのやつなのか?」
「詳しくは言えない」
メイソンは頭を抱えて心底めんどくさそうに言った。
「そうか。俺もやべえやつに出会っちまったな。こんな小さいうちからギャングかよ。こえーなこの世の中は。いいぜ。教えてやる」
メイソンはクロエに耳打ちをした。
「ありがとう、メイソン」
「いえいえ、どういたしまして。てことは、ここにはずっといねえってことか。なんか寂しくなるなー」
「忘れない」
カクテルを飲みながらクロエは言った。メイソンは少し照れて笑った。
「そうかい。ありがとよ」
「メイソンはいい奴だから」
「そうか? じゃあトウリは?」
「トウリもいい人。わたしが彼を知りたいのはただの興味」
「じゃあ、おじさんの話聞いてくれるか」
「長くしないでほしい」
「はいよ」
メイソンはビールジョッキをからにしてからゆっくり話し始める。
「あいつと出会った時は約十年前だな。十年前からあいつはあんなガキみてーな見た目でよ。初めて会った時、俺はあいつに助けられたんだ。いい奴でな。食べるところも寝るところも無くて死にそうだった俺に僕の家に住んでいいよって言ってくれたんだ。味のしない紅茶を毎晩飲んでな。そこから俺たちは友達になったってわけさ」
「味のない紅茶。わたしも飲んだ」
「やっぱあいつ味覚音痴なんだろうな」
勢いよく笑うメイソン。
すると、カタカタカタとグラスが揺れた。天井からぶら下がってるランプが左右に揺れる。
「地震か。最近多いな」
メイソンはため息混じりに呟く。
「前にはなかったの?」
「全然だ。なんで今なんだろうな。知り合いのおっさんも言ってたが地震なんてそうそうなかったらしい」
「何か理由があるの?」
「いや、それがまだ分からない。でもな、こう地震が続くと六十四年前のことを思い出すな。まあ、俺は戦地で知り合ったこの街出身のおっさんから聞いただけなんだが」
「話して」
「そうか? まあ、いいぜ」
メイソンはカウンターの奥に置いてあるライトアップされた色とりどりのお酒の瓶を見て話し始めた。
「この街はな、元々工業で栄えた街だったんだ。国の中でも一二を争う工業地帯だった。街の大きさに比べて人口が多くてな。だから排気ガスとかが問題になってたらしいんだ。六十四年前も余震がこう、結構続いて本震が来たらしい。あちこちで火が出てそれはもう大変だったらしい。建物が密集しているから逃げる場所も無くて。深夜だったから寝ててな。気づかずに死んでしまった人もいるらしい。建物もたくさん倒壊して。それで、みんなここには住めないって言ってほとんどの人が出て行ってしまったらしい。その後も大きな地震が続いてな。残っていた人も怖いって言っていなくなってしまったんだとよ。それで抜け殻の街に住み始めたのは家がない人たちってわけだ。それで、今のこの街が出来たらしい」
しばらく沈黙が流れた。
「ほかに話はないの?」
「ん? 子供らしくて何よりだな。そんなにお話を欲しがるなんて。暗い話の次は明るい話に限るからな! じゃあ楽しい話をしよう」
重苦しくなってきた空気を払拭したいのかメイソンはビールを一口飲みほろ酔いのまま話し始める。
「この街には昔から神様がいるらしくてな。その神様はいつもこの街のことを守ってくれてくれてる、らしい」
頷くメイソン。クロエはアップルフレーズルを空にする。
「なんの神様?」
「工業の神とか、鉄と機械とオイルの神、だったかな。まあ、ただのお話だ。気にするなよ」
クロエは顔を歪めた。
「神様の存在を信じてないって顔だな」
「いるかいないかは会ってみないと分からない」
「まあそうだな」
メイソンは目を伏せて腕を組んだ。
「今日はいい日だったな。お前たちに会えてよかったぜ」
「大げさ」
しみじみ言うメイソンは目を伏せていたせいでトウリの言う可愛い笑顔を見逃したのだった。
朝。トウリが目を覚ますと紅茶の用意をする。今日は美味しくできるかな? そんなことを考えながら。
出来たお茶をテーブルに置いた時だった。
とうはこの家に自分しかいないことに気がついたのは。
トウリが少し目覚める前のこと。
クロエはとある廃工場まで歩いていた。
その廃工場で今日、横流ししている組織と銃を買いに来た組織のメンバーがそこで銃の売買をするという。
クロエは廃工場の錆びた鉄製のドアを開ける。
ぎがががが。
重い扉を開けると中にいた人の視線がクロエに集まっていることに気がついた。
「おっお前は誰だ!」
いかにも新入りという風貌の青年がマシンガンを構えて言う。そう言う彼の腰は引けている。
「貴方に名乗る名前は無い」
「撃て! 撃てえ!」
親玉の怒鳴り声が廃工場にこだまする。そこにいた人間が全員銃を構えてクロエに向かって発砲した。
トウリは全速力でクロエがいる廃工場に向かっていた。
息が出来ない。辛い。きつい。肺が。息が。
生まれて初めて知る痛みだった。身体中が悲鳴をあげている。
泣きたい。吐きたい。逃げ出したい。
けれど。でも。クロエが廃工場にいると思ったら足が動く。
早く行かなきゃ。たとえそれがクロエにとっていらないことでも。
クロエは親玉とにらみ合っていた。周りにはたくさんの人の死体。血と肉の匂い。それらを作ったのはクロエだ。
「お前は何者なんだ! 一体! 言え! 言わないと殺す!」
「クロエ」
銃を支える両手が細かく震えている。明らかに親玉の男は戦慄していた。圧倒的な戦闘力を有する少女に。このクロエと言う少女に。
こいつはさっきからナイフ一本で俺の仲間を殺している。しかもものの十五分で。なんなんだ! こいつは!
恐怖のあまりクロエを睨みつけることしかできない。
すると、クロエが動いた。
一瞬でで親玉の死角に入り込んだのだ。そこから、ナイフを相手の喉元に突き刺そうと一直線に振り下ろす。
「くっ」
すんでのところで親玉は首を傾けた。
クロエの持っていたナイフが親玉の首筋をかすめる。紅い血が滲んだ。
クロエは後ろに飛んで距離を取る。
そして、ナイフを持ち直し構えをとって一歩踏み出したところだった。
ぎがががが、という錆びた鉄製のドアを開ける音が聞こえた。
クロエが一瞬気を取られていた間だった。
右手に持っていたナイフが相手の弾丸に弾かれどこか工場の奥へ吹っ飛ばされる。
カラン。
虚しさを伴った音が響く。
「う、そ。君がやったの? クロエ?」
ドアの付近ではトウリがただただ立っていた。涙が溢れでてきそうなのを抑えて。人が死ぬ光景を見たくないと目を閉じて。目の前の光景が信じられないというように。
バン。弾丸が一発親玉の拳銃から発射された。
「え」
その弾丸はあまりにも無防備な姿でトウリを見ていたクロエの胸を貫通した。
カラヤッキョウが地面に落ちる。それと同時にもう一つカラヤッキョウが落ちる音がした。そして、親玉がゆっくりゆっくり倒れていった。廃工場のコンクリートに血が流れていく。
トウリがクロエを見ると小さな拳銃を構えていた。そして、右の太ももが露わになっている。多分それは、自分の右の太ももにベルトで固定していたものだったのだろう。クロエの手から拳銃が落ちる。
「あっ。あ! クロエ!」
慌ててクロエに駆け寄るトウリ。
「大丈夫? しっかりして!」
クロエが目を薄く開ける。
「大丈夫」
「大丈夫じゃ無いでしょ! ぼくがクロエを助けるから!」
クロエをお姫様抱っこして駆け出す。
「大丈夫! メイソンならなんとかしてくれるはずだから!」
トウリはもう泣きそうだった。それを必死に堪えて走る。
すると一際大きな地震が起きた。
脳が直接揺さぶられていると錯覚するほどの激しい上下左右の揺れ。
思わずこけそうになるがなんとか耐える。
どこかで爆発が起きてその熱風がほおを撫でた。
「絶対助ける。絶対助ける。絶対助けるから!」
しばらく走り続けているとクロエがぼそりと呟いた。
「街の外に逃げて、トウリ。はやく」
ただ頷いてトウリは走る。耳にするのは建物が倒壊する音。目に見えるのは火事の紅い炎。
メイソンの知り合いが今ここにいたら思うだろう。さながら六十四年前のあの時に似ていると。
それは本当にこの世の終わりを物語っているようだった。
痛い。痛い。足が痛む。切り傷が痛い。血が流れている。足があざだらけだ。でも。
トウリは足がもつれても鉄骨に引っ掛けても止まることなく走った。走り続けた。
それで、トウリは身体中が傷だらけになりながら、やっとの事でクロエが都市に入ってきたあの穴の場所にたどり着いた。
トウリはその穴の一歩手前で立ち止まってしまった。
穴にくり抜かれたその先の景色は見たことがないくらい綺麗だった。綺麗な、綺麗な緑色。見たことないうじゃうじゃした緑色のものが土から生えている。
それに触って見たくて一歩踏み出しトウリは初めて暗黑都市の外に足を踏み入れた。
「!」
初めて見る景色に感動するのと同時にトウリは身体が突然重くなったような感覚に陥った。
地面に顔が近くなりそのまま倒れてしまった。それはまるで操り人形の糸が切れた時のように。電池が切れたラジコンのように。動きが止まってしまった。
次の瞬間、都市の中心部から起こる大爆発。建物が粉々になるような音。逃げ遅れた人たちの悲鳴絶叫。
その音たちはまさしく暗黑都市が終わる音だった。
朝。トウリが目を覚ますと紅茶の用意をする。今日は美味しくできるかな? そんなことを考えながら。
出来たお茶をテーブルに置いた時だった。
トウリはこの家に自分しかいないことに気がついたのは。
トウリが少し目覚める前のこと。
クロエはとある廃工場まで歩いていた。
その廃工場で今日、横流ししている組織と銃を買いに来た組織のメンバーがそこで銃の売買をするという。
クロエは廃工場の錆びた鉄製のドアを開ける。
ぎがががが。
重い扉を開けると中にいた人の視線がクロエに集まっていることに気がついた。
「おっお前は誰だ!」
いかにも新入りという風貌の青年がマシンガンを構えて言う。そう言う彼の腰は引けている。
「貴方に名乗る名前は無い」
「撃て! 撃てえ!」
親玉の怒鳴り声が廃工場にこだまする。そこにいた人間が全員銃を構えてクロエに向かって発砲した。
トウリは全速力でクロエがいる廃工場に向かっていた。
息が出来ない。辛い。きつい。肺が。息が。
生まれて初めて知る痛みだった。身体中が悲鳴をあげている。
泣きたい。吐きたい。逃げ出したい。
けれど。でも。クロエが廃工場にいると思ったら足が動く。
早く行かなきゃ。たとえそれがクロエにとっていらないことでも。
クロエは親玉とにらみ合っていた。周りにはたくさんの人の死体。血と肉の匂い。それらを作ったのはクロエだ。
「お前は何者なんだ! 一体! 言え! 言わないと殺す!」
「クロエ」
銃を支える両手が細かく震えている。明らかに親玉の男は戦慄していた。圧倒的な戦闘力を有する少女に。このクロエと言う少女に。
こいつはさっきからナイフ一本で俺の仲間を殺している。しかもものの十五分で。なんなんだ! こいつは!
恐怖のあまりクロエを睨みつけることしかできない。
すると、クロエが動いた。
一瞬で親玉の死角に入り込んだのだ。そこから、ナイフを相手の喉元に突き刺そうと一直線に振り下ろす。
「くっ」
すんでのところで親玉は首を傾けた。
クロエの持っていたナイフが親玉の首筋をかすめる。紅い血が滲んだ。
クロエは後ろに飛んで距離を取る。
そして、ナイフを持ち直し構えをとって一歩踏み出したところだった。
ぎがががが、という錆びた鉄製のドアを開ける音が聞こえた。
クロエが一瞬気を取られていた間だった。
右手に持っていたナイフが相手の弾丸に弾かれどこか工場の奥へ吹っ飛ばされる。
カラン。
虚しさを伴った音が響く。
「う、そ。君がやったの? クロエ?」
ドアの付近ではトウリがただただ立っていた。涙が溢れでてきそうなのを抑えて。人が死ぬ光景を見たくないと目を閉じて。目の前の光景が信じられないというように。
バン。弾丸が一発親玉の拳銃から発射された。
「え」
その弾丸はあまりにも無防備な姿でトウリを見ていたクロエの胸を貫通した。
カラヤッキョウが地面に落ちる。それと同時にもう一つカラヤッキョウが落ちる音がした。そして、親玉がゆっくりゆっくり倒れていった。廃工場のコンクリートに血が流れていく。
トウリがクロエを見ると小さな拳銃を構えていた。そして、右の太ももが露わになっている。多分それは、自分の右の太ももにベルトで固定していたものだったのだろう。クロエの手から拳銃が落ちる。
「あっ。あ! クロエ!」
慌ててクロエに駆け寄るトウリ。
「大丈夫? しっかりして!」
クロエが目を薄く開ける。
「大丈夫」
「大丈夫じゃ無いでしょ! ぼくがクロエを助けるから!」
クロエをお姫様抱っこして駆け出す。
「大丈夫! メイソンならなんとかしてくれるはずだから!」
トウリはもう泣きそうだった。それを必死に堪えて走る。
すると一際大きな地震が起きた。
脳が直接揺さぶられていると錯覚するほどの激しい上下左右の揺れ。
思わずこけそうになるがなんとか耐える。
どこかで爆発が起きてその熱風がほおを撫でた。
「絶対助ける。絶対助ける。絶対助けるから!」
しばらく走り続けているとクロエがぼそりと呟いた。
「街の外に逃げて、トウリ。はやく」
ただ頷いてトウリは走る。耳にするのは建物が倒壊する音。目に見えるのは火事の紅い炎。
メイソンの知り合いが今ここにいたら思うだろう。さながら六十四年前のあの時に似ていると。
それは本当にこの世の終わりを物語っているようだった。
痛い。痛い。足が痛む。切り傷が痛い。血が流れている。足があざだらけだ。でも。
トウリは足がもつれても鉄骨に引っ掛けても止まることなく走った。走り続けた。
それで、トウリは身体中が傷だらけになりながら、やっとの事でクロエが都市に入ってきたあの穴の場所にたどり着いた。
トウリはその穴の一歩手前で立ち止まってしまった。
穴にくり抜かれたその先の景色は見たことがないくらい綺麗だった。綺麗な、綺麗な緑色。見たことないうじゃうじゃした緑色のものが土から生えている。
それに触ってみたくて一歩踏み出しトウリは初めて暗黑都市の外に足を踏み入れた。
「!」
初めて見る景色に感動するのと同時にトウリは身体が突然重くなったような感覚に陥った。
地面に顔が近くなりそのまま倒れてしまった。それはまるで操り人形の糸が切れた時のように。電池が切れたラジコンのように。動きが止まってしまった。
次の瞬間、都市の中心部から起こる大爆発。建物が粉々になるような音。逃げ遅れた人たちの悲鳴絶叫。
その音たちはまさしく暗黑都市が終わる音だった。
++++
暗黑都市に終焉が訪れて三日経ったある日。
クロエはトウリの腕の中で目を覚ました。
トウリの身体はぐったりとしていて重く痛々しいものになっていた。
クロエは立ち上がって大きな木の近くにしゃがみ込んだ。
そして一時間後。ずっとずっと暗黑都市を見守ってきたのであろう大きな木の根元に一つのお墓が出来ていた。その墓には一輪の白い花と涙の跡が残っていた。
クロエが三日ぶりに都市の中に足を踏み入れるとそこに大きな建物は一つもなかった。
あんなに大きかったビルもくすんだ廃工場も全てがぺしゃんこになっていた。何もかもが跡形もなく消えていたのだ。
クロエは歩き始めた。まっすぐ前を向いて。暗黑都市の残骸を踏みしめながら。
酒場、ライオンの家。
平らになったライオンの家にメイソンとマスター、三人の男達が立っていた。みんな瓦礫の山になった酒場の周りを片付けている。
「おお! クロエ! 生きていたか!」
メイソンが手を振る。手を振り返すクロエ。
「おっ? どうしたんだ? トウリは?」
ゆっくりと首を横に振るクロエ。
「そうだったか。大変だったな」
クロエを抱きしめて泣き始めるメイソン。
数分経ってメイソンは言う。
「みんな後片付けしてるってさ。マスターは新天地でバーを経営するつもりだってよ。あの屈強な男達はこれから救助活動するらしい。さて、俺はどうするか」
「じゃあ、わたしの話を聞いて」
「?」
あまりに真剣なクロエの表情に思わず頷くメイソン。
「トウリはこの街を守る神様だったんだと思う」
「は? あいつが? あの話に出てた?」
「そう。そして、六十四年前の地震もトウリがしたことだと思う。理由はよく分からないけど。トウリは人間の身体を持つ生きた神様だったんだ。本人は気づいていないようだったけどこの街で起こった自然現象とトウリの気持ちはシンクロしてた」
「? よく分からねーがそうなのか?」
「そして、トウリは長年の間、見た目が変わらなかった。それは」
「神だったからか」
頷くクロエ。
「トウリの思いが激しくなったからその思いに反応して地震が起きた。トウリが泣いたら雨が降った。トウリの心拍数が上昇したときに地震が起こった。けど、なんで心拍数が上昇したかが分からない」
「それはな、クロエ。それはあいつがお前さんのこと好きだったからだ」
「好き︙︙」
クロエはその言葉を噛みしめているようだった。メイソンはクロエのほおが少し赤くなっていることに気がついた。
「最後にトウリがこの街を出るときにトウリは︙︙」
「そうか、それ以上は言わなくていいぞ。クロエ。大丈夫。分かってるさ。神が離れたときこの街が終わった。そう言うことだろ? けど、それが今回と前回の大地震の真相か。なんかよく分かんないけどそうだったのか。あいつがねー」
クロエは平らになって見晴らしが良くなった暗黑都市から空を見ていた。そこから見える空はとても青くて。とてもきれいだった。
「これからどうするんだ? クロエ」
「わたしはギャングに戻る」
「そうかい」
「でも。わたしはギャングをやめる。殺しは良くないってトウリが言ってる気がするから」
「そうかい、そうかい。頑張れよ」
「うん、頑張る」
++++
「ここまでしか俺は知らねーぜ」
「へぇ? でも良く知ってるわね。こんなとこまで」
「そのメイソンって人に会ったことがあるんだよ」
「へぇー」
六時に座っている女は疑いの眼差しを九時の席に座ってる男に向けた。
すると、会議室の扉が開いて、赤いワンピースの良く似合う女の子が入ってきた。
椅子に座っている人が全員立ち上がる。
「ボス、お待ちしておりました」
二時の席の男が言った。
「座ってほしい」
ボスと呼ばれた少女は十二時の椅子に座る。
すると、一時から九時までの男女がそれぞれ座った。
「これからわたしたちは十時の席に座るメンバーを探しに行く」
「はいっ」
「では、みんな。行くぞ!」
二時の席の男が言う。みんなが立ち上がりボスに敬意を払う為の敬礼をした。
この物語はギャングをやめたとある少女がとある組織を作るまでの始まりの物語である。
ニックネーム:Miyabi
性別:女性
区分:小学生
感想:他の作品より長くて読みごたえがありました。