ベットに顔を埋めシーツを涙で濡らす少年が居た。少年の横にはワンちゃんの顔の写真が額縁に飾られていた。そこまではまだ普通のことだろう。しかしそこには一部普通ではない物が飾りとしてあった。ワンちゃんの顔に覆いかぶさるようにリボンが斜めに八の字にかかっていた。それは葬式で存在感を示すものと同じだった。遺影と呼ばれるそれを視界に入れると少年はまたもや涙を目にためてこぼれそうな雫を指で拭う。遺影を見てはぶり返す涙。ベットシーツはとっくのとうにぐちゃぐちゃである。涙の他に出てくる鼻水を「ズビッ」と吸うと泣きつかれたのかそのまま目を閉じてしまった。
次に目を開けたのはお母さんの
「ご飯よー」
という声によってだった。鼻にくるご飯の匂いについついお腹が「ぐぅ」と大きな音をたてる。しかし食べる意欲がないのか、リビングに向かう様子は伺えなかった。取り敢えず洗面所に向かうと顔を洗う。ふと見た鏡に映るのは涙と鼻水の流れた跡と腫れた下瞼をした自分の顔だった。涙と鼻水の跡は乾ききっており、一回の水洗顔では取れず何度も行う。腫れた目をなんとかしないといけないと、温かいタオルを作りに行くために結局リビングに向かう。やはりご飯の匂いにつられて行ったのも理由としてあったが、それは心の奥に追いやって食べるためではないと自分に言い聞かせる。
リビングにいくとお母さんがギョッと目を見開いたと思えばすぐに少年に駆け寄った。
「悠ちゃん目どうしたの?! 腫れてるじゃない。ホットタオル用意するからちょっと待ってて」
お母さんはそう言うと廊下のタンスからタオルを取り出しに行った。悠ちゃんと呼ばれた少年は「へってない。すいてない」と勝手に出てくるお腹の虫の音を止めるよう自分に暗示をかけるかのようにつぶやき続ける。
「はいこれ。目に当ててね。あ、でもそれじゃあご飯食べにくいわよね」
お母さんが差し出したホットタオルを受け取るとそそくさと自分の部屋に戻る。後ろで
「ご飯は」と引き留めようとするお母さんを背に振り返らず戻る。
「ご飯なんて..こうちゃんはもう食べれないのに..」
そうつぶやくと少年の目に涙が再びたまる気がした。けれども一向にたまらない。飼い犬が死んでから涙を流し続けた少年の目には涙がたまらない。今出る分は出し尽くしてしまった。その代わりに鼻水がより出ることといったら箱ティシュ一箱使い切る勢いだ。
「うぅぅ..」
と泣いては鼻をかむのを繰り返す。箱ティシュを使えきる前にゴミ箱が満タンになんってしまったがそんなこと気にせず鼻をかみ続ける。一度リビングに顔を出してからというもの一向にご飯を食べに来ない我が子を心配してお母さんは扉の前にご飯を置くが少年は手をつけなかった。
少年は結局喪服のまま寝てしまったようだった。起きたら寝ぼけながら窓の真下にある犬用のストライプベットに向かって
「おはよう。こおちゃん」
と話しかける。いつもは『ワンッ』と返事するのにと目をこすっていた手を止め、目を開ける。すると目の前には主をなくしたストライプベットがあるだけだった。もう涙や鼻水は出尽くし出なかったが、心にぽっかり空いた穴は通夜より広がっていた。今日は葬式の片付けを終えて帰ってきたお父さんが居た。
「ご飯できたわよ。食べれる?」
昨晩少しも手につけなかった夕飯をふまえて今朝は少年の部屋の前前まで行き話しかける。もしかしてまた食べてくれないのではと不安でいっぱいなお母さんを横目に昨日一日何も口にしていなかった少年は本能に負けて食欲に負けて自ら扉を開け、お母さんの前に姿を現した。一日飲まず食わずで微少ながらやつれた我が子を見て驚愕を隠せないお母さん。そんなお母さんは急いで少年をリビングに行かせようとするが、少年はゆったりとした足取りでお母さんの後ろをついていくだけで急ごうとしない。やっと食卓に着いた少年は目の前のご飯に手を伸ばす前に「ごめん」と一言つぶやいた。小さくつぶやいた言葉は誰の耳にも届かない。食べ進めるが美味しいと思えない少年は三分の一を残して部屋に戻った。少年がいなくなったリビングでは両親が顔を見合わせ話し始める。
「遊はどうしたんだ? 泣いているならまだしも心ここにあらずって感じだったぞ」
「私にもわからないの。昨日は帰ってきてから部屋に籠りっぱなしで泣いてたみたいなの」
二人の間に沈黙が流れる。
「あの日から気づいたらずっと泣いてるしあなたどうにかして」
お父さんはうーんと手で顎髭をさすりつつ思考を働かすと
「よしわかった」
一言言って駆け足で部屋に戻った。その頃少年は趣味の天体観測もしなくなりベットの上に仰向けになり目を瞑って時が流れるのを待つ。瞼を閉じるとみえる飼い犬の姿にいつまでもここにいたいと思わせられる。瞼の裏の飼い犬はいつもはじゃれてくる。触れることはできないのに触れているようでその間だけ瞼を閉じている時のみ少年の心に空いた穴は癒やされる。
次の日にお父さんに連れられ少年は遊園地に行った。
「数日だが休みとったし遊ぶぞー」
あれやろこれやろ言うのはお父さんで少年はお父さんに付いていくのみ。要望を何も言わない、話しかけても少年にお父さんも次第に元気が無くなり帰る頃には口数も減っていた。予定より三時間も早く帰ってきた二人に唖然とするお母さん。行きとテンションの変わらない息子にテンションの下がったお父さんを見て作戦は失敗だと気づく。
二日目ペットショップに行った。ワンちゃんを見れば心も癒えるだろうと踏んでいた両親の作戦をよそにワンちゃんを見た少年は回復した涙を一粒流す。店員に触れ合うよう促された少年は言われた通りに触れ合うがその間涙はとどまるところ知らずで流れ続ける。その様子にギョッとすると店員は犬を少年から話すと少年の涙は幾分ましになったが、未だ止まらない涙に両親は困り果てそそくさと家に戻った。少年は涙を流しながらベットに倒れ込むとスッと瞼を閉じた。
三日目動物園に連れて行かれた。お父さんは突然の会議で会社に通勤した。「一週間休み取ったって言ってたのにね」お母さんはそう言うが少年にはどうでも良かった。お母さんは少年より先に檻につくとこの子かわいいあの子かわいいと少年に話しかける。しかし少年は反応を示さなかった。
四日目どこにも連れて行かれなかった。両親は改めて対策を立てると共に様子を観察してみることにしたのだ。
「やはり生まれてからずっと一緒だったし心の傷は大きそうだな」
「そうね。ここ最近は寝てばかりであんなに好きだった星も見なくなってしまったの」
お父さんはお母さんの言葉に耳をピクッと反応させると「それだ」と椅子を倒し立ち上がる。
五日目夜高原に連れて行かれた。お父さんの運転する車で少し遠くに足を伸ばした。少年は望遠鏡をせっせと準備するお父さんをじっと見ていた。何も思わず何も感じずじっと見てるだけ。お父さんはその視線を背で感じながらも振り返らず作業を進める。
「星がよく見えるぞ。覗いてみろ」
お父さんに言われるがまま覗き込む少年。
「どうだきれいだろ。寝っ転がって見るのも全体が見れていいけどな」
お父さんの声を少年は聞き流してずっと望遠鏡を覗き続ける。
「生き物が死んだらどこに行くか知ってるか? 」
問いかけに答えない我が子に眉を下げつつ話を続ける。
「星になって空に行くんだ。だから星はあんなに多いんだぞ。こうちゃんもどこかにいるかもな」
「星になって空に..」
久しぶりに聞いた我が子の声。元々は笑いの絶えない少年だったため、声を聞かなかった数日は数週間にも感じた。少年は飼い犬に追悼の意味を込め最後の一粒の涙を流し、お父さんとお父さんの電話から我が子の朗報を聞いたお母さんは飼い犬にこれまでの感謝を載せて涙を流した。
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