発言にはご注意を

【side:C】

「クレイなんかクレイなんかきらい、だいきらい、どっか行っちゃえばいいんだ」

 絞り出すように放たれた彼女の言葉を冷静に処理することができないくらいには、その時、取り乱していた。

「俺だって、顔も見たくないね」

 ぶっきらぼうにそう言ってしまったことを、後悔している。

 今朝、朝食をとりに下に降りた時、見慣れた姿が無くて同居人のSpicaに尋ねた。

「骸は?」

 喧嘩をしている恋人の所在を尋ねるだなんて、とんだ大馬鹿者だろう。

 Spicaは珈琲を一口啜り、呆れたように言う。

「隣にいるじゃないか」

 俺は隣に視線をやったが、空席で誰もいない。しかし、Spicaはすまし顔で冗談を言えるほどユーモアのある男ではなかった。

「二人の喧嘩におれを巻き込まないでくれ」

 Spicaはサラダを丁寧に避ける。「ここはおれの家なのに、肩身狭いじゃないか」と愚痴を言いながら。

「骸は何か言ってるか?」

「巻き込まないでくれって言ったろ」

「いや、本当に聞こえないし、見えないんだ」

 隣は空席のままである。

 Spicaは二、三度ゆっくりと瞬きをして、つぶやいた。

「マジか

【side:S】

 早乙女 銀河、愛称Spicaとは正しくおれのことである。

 比較的歳の近い、血の繋がらない娘を持つ一児の父で、普段は学者としてのんびり研究をしたり、診療所を開いてそこで働いていたりする。

 ここ数日、愛娘の骸の機嫌は過去最低点を叩き出していた。

 恋人であるクレイと喧嘩したのらしい。普段は喧嘩することのない二人だが、今回はどデカい地雷を踏んだようだった。

 そもそも、クレイはこの家に骸の用心棒として置いている居候の身で、何年骸を一途に想っていようと、おれにとっては大事な娘を奪った不埒極まりない男なのだ。だから、「あんな奴気にする必要はない」と言ってやりたいところだが、骸本人はたいへん彼のことを好いていたので言わなかった。──と言うのは冗談だ。どちらも本物の娘息子のように思っているし、何より娘には幸せでいてほしいと言うのが親心である。一刻も早く仲直りしてくれれば良いのだが。

 さて、「本当に大切なものは、失ってからその大切さに気付く」とはよく言うが、この場合は何と形容したら良いだろうか?

 二人ともいつも通りソファでくつろいでいるが、二人は口を揃えて「クレイ/骸が見えない、聞こえない」と言うのだから、参ってしまった。

 意地を張り合っているようには見えず、むしろ互いを探しているようだった。

「クレイ、まだ怒ってる?」

 骸のその言葉が、おれに向けられたものなのか、本人に向けられた質問なのか分からない。

 クレイはじっと目を閉じて、眠ってしまおうと努力しているところだった。そもそもの仕事柄、骸が視界に入らないのが恐ろしい──骸は大変事故を起こしやすいので、怪我でもするのではないかとヒヤヒヤしているらしい──のか、いっそのこと眠ってしまいたいらしかった。

「そこで寝てるから、聞いてみれば良いんじゃないか?」

「答えてくれないもん」

 骸はソファの上で膝を抱えて、隣をちらりと覗いた。何もいないらしかった。しかし、ゆっくりとクレイの顔があるあたりに手を伸ばして、つつと鼻先に触れた。

「ここらへんが、顔、かなぁ」

 骸はおれの方に視線をやった。まるで「合ってる?」とでも尋ねるように。

「合ってるよ、いじめてやれ」

 骸は小さくこくりと頷くと、ぺたぺたと頬のあたりを叩いたり、鼻を摘んだりして好き放題していた。

 本当に喧嘩しているのか?

 本当はおれをからかっているだけじゃないのか?

 何度もそう思ったが、骸もクレイも時折うんと悲しそうな寂しそうな顔をするので、考えることをやめた。

【side:M】

 クレイと、大げんかをした。

 理由は、5:5で──いや、6:4でわたしが悪いと思う。

 いつも守ってくれるクレイのために何かしたくて、こっそり家を抜け出して、クレイに黙って街に出かけた。もちろん、わたしの不運体質は承知の上で、Spica譲りのうんと使える頭でありとあらゆるリスクに対して万全の状態にして行ったのだ。怪我ひとつしないで帰って来たのに、あんなに怒られるとは思わなかった。

 そもそも、わたしは今年成人した立派な大人なのだ。それなのにSpicaもクレイもいつまでもわたしを子供扱いして、これじゃあはじめてお使いに行く子供より過保護じゃないか。

 一人でだってちゃんとできるって、見せつけてやりたかったんだ。

 それを否定されて、ちょっとだけ傷ついただけ。

 気付いたら、「どっか行っちゃえ」何で口走ってしまっていた。

「寂しい」

 薄らかに笑う表情が目に映らないのは、寂しい。

 低くて落ち着いた柔らかい声が聞こえないのは、寂しい。

 周りの人よりも少し低い体温や、骨張った大きな手に触れられないのは、もっと。

ごめんね、クレイ。言い過ぎちゃった、ちゃんと言うこと聞くから、戻ってきて」

 ぎゅうと目を瞑る。

 目を開けたら、再びその姿が在りますように。

 目を開く。瞬きをする。

 そこにクレイは、いないみたい。

「俺はこっち」

 低くて、落ち着く、柔らかい声が後ろから聞こえる。

 パッと振り返る。

「過保護が過ぎたな、悪かったよ骸」

 表情がぼやけて、上手く見えない。

「さびしかった」

少しは反省した?」

「すっごく反省した、もうあんなこと言わないから、許して」

「もちろん。俺のことも許してくれるか?」

 申し訳なさそうに眉を下げた表情も、涙を拭ったその大きな手のひらも、全部が懐かしくて愛おしい。

 わたしは何度も頷いた。

【side:S】

 二人が抱き締めあっているのを見て、どうやら仲直りしたらしくホッとした。

 おれは、「団欒」に混ざりたくて口を挟む。

「骸、クレイも寂しがってたから、うんとあやしてやるんだぞ」

「そうなの?」

「あぁ、余裕ぶってるが、あれはクレイがやったんじゃない。毎日骸の所在を聞いてきて参ったよ」

「馬鹿、言うな」

 骸はきらきらとした眼差しでクレイを見た。そのまま二人でアイスを買いにデートにでも行けば良い。

 さて、ここから遠く離れた極東の地に「言の葉の幸わう国」と言う場所があるらしい。言葉には魂が宿っていて、発した通りの結果を招くそうだ。

 二人の珍事件が摩訶不思議な魔法によるものではないとしたら、きっとそれは、心にもないことを言った二人に神様がお仕置きをしたのだろう。

 

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