僕の朝の訪れは家族の中で一番早い。
今日も日が昇ると同時に目を覚まし、ふかふかのベッドから抜け出した。体をほぐしながら周りを見渡すと、いつもと景色が少しだけ違うことに気がついた。
︙そうだ、今日は重要な任務を遂行する日じゃないか!
僕は軽く助走をつけて、傍にある自分のより何倍も大きいベッドに飛び乗った。
「ぐへぇっ!」
着地の瞬間、苦しそうなうめき声がした。どうやら毛布ではなく、そこで寝ている人の上、しかもお腹に着地してしまったようだ。
でも起こすことさえできれば結果オーライなので、僕は特に慌てることもなく悠然とそのお腹の上から降りた。
するとしばらくして、ベッドで寝ていた人が苦しそうにゆるゆると上半身を起こした。
「︙あぁ︙なんだ、お前か︙ビックリした︙」
僕の存在に気づくと、ちょっと口の悪い彼女はまだ半分夢の中みたいな顔で苦笑した。そして、細い腕を伸ばしてくしゃくしゃと僕の頭を撫でた。ちょっと雑だけど、僕はこの撫で方が好きだ。心地よくなって、僕の目が自然と細くなった。朝目覚めてすぐに彼女に撫でてもらえて、嬉しい気持ちになった。
彼女は高校生になりたて。僕はただの飼われ犬なので詳しいことはよく分からないけど、キラキラした青春はあまりなくて、勉強やらなんやらが忙しいらしく、毎日大変そうにしている。それで最近そのストレスに打ち負けているのか、家での勉強をサボることが多くなり、生活習慣も悪化しているらしい。
彼女は家ではバレないように隠しているけど、お母さんは既になんとなくそのことを察知していて、昨日の晩僕に『あの子がサボらないように見張っておいてね』と指令を出した。
今日はお母さんやお父さん、お兄ちゃん、それにお姉ちゃんも一日中外に出かける。つまり彼女を見張れるのは僕だけ、ということだ。
今日は一日中大忙しだ。彼女がちゃんとした生活を送れるように、僕が全力でサポートしなくては!
彼女は何かに引きずり出されるかのようにベッドから降り、一階に向かった。僕はその背中を見上げながらついていった。自然と尻尾が左右に揺れていた。
順調に朝の散歩を終え、そろそろ勉強を始めるべき頃合いだ。僕はソファーの上で丸くなりながら、ちらりと様子を窺った。すると、彼女は何やら光を放つ小さい長方形の板みたいなものを置いて二階へ続く階段を登り始めた。
今がチャンスだ、と僕は猛スピードで彼女の後ろに滑り込んだ。すると彼女は僕に気づき、部屋まで連れていってくれた。
しかしあろうことか、彼女は勉強道具を出す素振りも見せずに、部屋に入るとすぐさま別の大きめな長方形の鉄の板を取り出して、それをいじり始めた。
これは良くない、と僕は確信した。一日教育係である僕がなんとか思いとどまらせなければ。何か役に立ちそうなものは︙と周りを見渡すと、ベッドの上に置かれたぬいぐるみに目が留まった。確か、彼女が小さい頃から持っているものだったはず。
あれだ! 僕は瞬時に駆け出して、そのぬいぐるみを傷がつかない程度にくわえた。そして、したり顔で捕らえたぬいぐるみを見せつけた。
彼女はそんな僕を見て一瞬で緊急事態を察知したのか、大きく目を見開いた。
しかしこれだけでは終わらない。僕は首を回してぬいぐるみを激しく振り回した。
「え、おい、ちょっと!」
彼女の混乱した声が部屋に響く。可哀想だとも思ったけど、僕は犬なので、言葉が通じないためにこういう方法を取るしかなかったのだ。
僕は彼女が取り上げようとする前にぬいぐるみを振るのをやめ、床に置き、うーっと唸った。
彼女は目をぱちくりさせてから、僕の様子を眺めながら考え込んだ。どうやら僕の言いたいことを、必死に理解しようとしているらしい。
ちゃんと正しく伝わったかな︙?
ドキドキしながら待っている僕に、しばらく間を空けて、彼女は口を開いた。
「あー︙もしかして、遊んで欲しい?」
彼女は申し訳なさそうに眉を曲げて尋ねてきた。
違うよ、最近宿題が溜まってて僕に構ってる時間なんてないんでしょ! ちゃんと家族に対して気遣いしてるんだよ!
やっぱり、言語の壁は中々厚いようだ。これからはもっと分かりやすい伝え方を模索していかないと。
彼女はすぐにおもちゃを持ってきてくれた。僕はこれ以上危険な行動はできないと思い、ひとりで遊べるタイプの骨型のおもちゃをを選んで、昼食の時間まで部屋の隅で噛むことにした。
僕は昼食のあとからも様々な行動を起こした。何度も彼女を二階に誘ってみたり、例の長方形をいじるのを邪魔したり、ちょっと吠えてみたり︙でも、どれも上手くいかなかった。ひとりだけ部屋に行かされたり、やっぱり構って欲しいんだと勘違いされたり、怒られたり︙結局、全部彼女に迷惑をかける結果となってしまった。
やっぱりただのペットなのに出しゃばるべきではなかった、と反省し、僕はソファーの隅っこで縮こまった。
彼女は上に行ってしまったので、何をしているのかは分からない。
やがてお母さんが帰ってきた。僕がお出迎えに顔を出すと、お母さんは僕のことをお利口だと頭を撫でながら褒めてくれた。でも、あんまり気分は上がらず、尻尾も揺れなかった。
すると、上から彼女が降りてきた。お母さんはまず『お留守番ありがとう』とお礼を言って、『勉強できた?』と訊いた。
すると彼女は『うん』としっかり頷いた。
︙ということは、僕が行動をやめた時から勉強してたってこと︙?
僕が首を傾げていると、彼女が傍に来て、頭をあの撫で方で撫でてくれた。
「今日、物凄い色んなことやってて、何か訴えられてる気がしたんだよね。遊んでくれ、なのか、おやつをくれ、なのか、なんなのかはよく分かんなかったけど︙。でも、とにかく必死だったから、早く要求に答えてあげたいなと思って、宿題急ピッチで進めた」
僕は彼女の言葉に呆然とした。まさか、そんな形で伝わっていたなんて︙。
ぽかんとする僕には気づかないまま、彼女は話を続ける。
「自分のことはさっさと終わらせないと、家族のことまで手が回らないもんね。今日を通して気づいた。これから、猛スピードで宿題終わらせる。︙終わったら沢山遊んであげるから、それまで待っててくれる?」
彼女は僕の目を見て、そう訊いた。僕のガラス玉のような丸い目は、彼女の姿をそのまま映し出した。僕の答えは勿論『はい』なのだけど、どうやって伝えればいいのか分からず、一回軽く吠えた。
今回のサインはちゃんと伝わったみたいで、彼女もお母さんも笑ってくれた。
︙明日からは僕も背伸びせずに、自分のやるべきことをやろう。
今から僕がするべきことは、彼女を信じて待つことだ。
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